私の生まれは沖縄の貧しいエリアであり、非常に幼いころは苦しい生活を強いられたことが記憶に鮮明に残っています。
母は父とわかい頃に死別してしまい、子供三人を抱えて非常に苦労したんです。
食べる琴にも事欠き朝から晩まで働き詰めで、一日中休みの日も一緒に過ごしたことはありませんでした。
私は長男であったので小学校の頃から幼い舌の兄弟の面倒を見て、おしめをかえたりミルクを与えるなどしてまるで母親の役目を幼いころからしていたんです。
貧しさのあまり、私は中学校を出てはたらきだしました。
それは母親を早く楽にさせてあげたい一心でした。
当然、学費をねん出するお金も我が家にはありません。
中卒で、学もない私は社会に出て非常に苦労しました。
働ける職種とは、肉体労働に限られておりそれも大阪や東京に出稼ぎに行かなければならない状態だったのです。
親方の言っていることもしっかり理解できず、仕事も覚えるのが遅かったので毎日のように叱られていました。
会社の寮に帰っては一人で泣いて夜を過ごしたことも少なくありません。